2018年2月14日水曜日

盛岡冷麺の旅 - ⑤盛楼閣



盛岡の夜は更けて、時計の針も0時に迫っていた。深夜徘徊にはちょうど良い頃合いである。いったんホテルで休んでいた私は、ふたたび繰り出すことに決めた。

外気はさっきより俄然冷たい。駅前通りでは夜との別れを惜しむ人びとがたむろしている。その光景を横目に見ながら歩いていった。


「盛楼閣」が入っているという建物の前に着いた。6階建てくらいの白っぽいそのビルは、その佇まいからどことなく昭和のにおいを漂わせている。しかし中に入ると、エントランスから階段を上がって2階へと至る空間は新築同然にリフォームされていて、訪れる者を安心させる。


盛楼閣の扉を開け、案内されたテーブルについた。店内は広い。中央にある調理場は清潔感に満ちた白い光に照らされて、それを取り囲む客席エリアの落ち着いた内装と心地よい対比をなしている。


そして、複数組の客が思い思いの深夜0時を過ごしていた。雰囲気はいたって平和である。時間が時間なので野戦病院みたいな光景を想像していたが、東京の基準で物事を考えてしまっていたことを恥じた。


さすがにいまから再び肉を焼く元気はない。焼酎のお湯割りと冷麺だけを注文した。お湯割りをあわただしくすすり、なんとか先酒後麺の体裁を整える。


冷麺が配膳されるまでに、それほど時間はかからなかった。どんぶりの中央にお行儀よくまとまっている麺は、よく磨かれた高級車みたいに、その1本1本が透明感のある光を放っている。おのれの味と食感に対する自信を誇示するかのようであり、俄然、期待が高まる。照明の効果もあるにせよ、これは見事だと思った。


その光り輝く麺の束を崩して、例のごとくそのまま味見をしてみた。麺をすするなり牛骨のパンチを感じた。甘みもそれなりにある。酢と辛味も加えて食べ進める。辛味は定番の、キャベツと大根のキムチ。


そういえば、ここ岩手は古くからキャベツの栽培が盛んな地域だ。その証拠に、岩手ではいまなおキャベツが日本に導入された当初の「たまな」という和名で呼んでいるそうである。

しかし、キャベツでキムチを漬けることは朝鮮半島ではあまり行われていない。いまや盛岡冷麺になくてはならない「たまな」キムチも、手近にある材料で祖国の味を再現しようとした先人たちの試行錯誤の産物に違いない。

翌日、もりおか歴史文化館の ミュージアム・ショップで
入手した「イワテノホウゲン」缶バッジ
その「たまな」と大根のキムチは、かなりよく漬かっていた。麺に絡め取られた状態で口に含んでも、その舌が痺れるようなその酸味によって存在感を主張してくる。昔、東上野の「大門」で初めて本格的なカクテキを食べたときの衝撃を思い出した。

肉はやや硬く、ビーフジャーキーのように噛めば噛むほどに味が出てくる。そして、スープも具も個性派ぞろいというなかにあって、麺は味・食感とも意外に堅実。いわば主人公として果たすべき役割を愚直に果たしている。その安心感がまた麺をすする喜びにつながる。こんな黄金のサイクルが成立していた。

かくして深夜0時の冷麺を完食した。冷麺の感激に気持ちは高まっても、いかんせん体はちょっと冷えてしまった。駅前通りはさっきにも増して肌寒くなっていることだろう。そんなことを考えていたら、それが顔に出たのか、すかさず店員さんが熱い麦茶を出してくれた。

つづく