冷麺を食べるべく、クアラルンプールの「平壌高麗館」にやってきたわれわれ。訪問の経緯と店の概要、そして料理を注文するところまでは速報版と前編で述べた。では、いよいよ冷麺の話に入ろうと思う。
と、その前に、もうひとつ注文した料理があるんだった。
パンチャンをつまみながら待つことしばらく。「鴨肉の鉄板焼き」(39リンギ=約1300円)が出てきた。鴨肉の焼肉は平壌名物として知られているので頼んでみたのである。だが出てきた料理は、われわれがイメージしていたものとは、いささか異なっていた。
この調理法にせよ味付けにせよ、明らかに朝鮮料理のセンスではない。北朝鮮の料理人だけでなく、現地の料理人も雇っているのではないだろうか。
鴨肉をうまいうまいと言いながらパクパク食ってるうちに、いよいよ今回のメインが運ばれてきた。
部屋が暗くて、写真があまりよく撮れていないのが残念だ(無理やりレタッチしたので明るく見えるが)。しかし、わかる人にはこの写真で十分にわかるはず。この冷麺が、ガチな平壌冷麺であるということが。
この黒っぽくて透明感のある麺は、まさしく、平壌式の蕎麦粉を使った冷麺の特徴なのだ。
そう、この麺は、正真正銘の平壌冷麺だ。しかし、どうやって平壌から遠く離れたマレーシアの地で、ここまで本格的な平壌冷麺を提供しているのだろうか?気になって、ウェイトレスさんに訊ねてみた。すると、こんな回答だった。
「この麺は、材料となる蕎麦粉を祖国から持ってきて、店内で製麺しているものです」
なるほど。それならばすべて納得がいく。速報版で説明したように、平壌とクアラルンプールは高麗航空の定期便で結ばれている。蕎麦粉の仕入れも容易なはずだ。
「蕎麦粉ぐらい、わざわざ遠い北朝鮮から運ばなくても用意できるのではないか」と思うかもしれない。しかし、どうやら冷麺に適した蕎麦粉というのがあるようなのだ。というのも、日本で一般的に手に入る蕎麦粉を用いて平壌冷麺のレシピで製麺しようとしてみても、平壌冷麺のようにはならない。そもそも、色の濃さまったく違う(日本蕎麦の色合いを思い浮かべてみてほしい)。
日本でも蕎麦には様々な製粉方法があるが、そもそも日本蕎麦と平壌冷麺では製粉方法が大きく異なると思われる(この冷麺の麺にコンニャクのような黒い点々が見られることからもわかる)。もしかしたら、蕎麦の品種も違うのかもしれない。日本で蕎麦粉を用いた本格的な平壌冷麺を出す店が皆無に等しいのも、そのへんに原因があるのではないだろうか。
さて、麺について力説しているうちに話が逸れてしまったが、「平壌高麗館」の冷麺はスープも絶品である。この写真を見ていただきたい。
具として入っている肉を並べてみたものである。左上から時計回りに牛肉、豚肉、鶏肉だ。いずれもパサパサのボソボソで旨味もクソもない。つまり、これはダシを取ったあとの肉なのだ。牛、豚、鶏の3種類の肉でダシ(ユクス)を取る平壌冷麺のレシピが忠実に守られていることを意味する。
その甲斐あって、スープをひとくちすすると、濃厚なダシの旨味が口のなかに広がる。そして、そこへ適度な酸味と甘みが爽やかさをプラスしていて、ツルツルの麺との相性は抜群。
元来、わたしは冷麺には必ず酢を入れる派だ。しかし今回ばかりは、あまりにもスープの味の均整が取れているので酢を入れるのがもったいない気がして、結局、最後まで入れなかった。
かくしてわれわれは、北朝鮮からはるか南のクアラルンプールで、期せずして本格平壌冷麺にありつくことができた。
もちろん、冷麺好きとしては、いつか平壌の「玉流館」で本場の平壌冷麺を食べてみたいという夢がある。しかし現在、北朝鮮を旅行者として訪れるのには諸々含めて20〜30万円ほどの予算が必要になる。「近くて遠い国」と言われるだけあって、残念ながら訪問のハードルは決して低くないのだ。
それに比べて、クアラルンプールならば普通に旅行してもその半分以下の予算、さらにLCCと安宿を組み合わせた貧乏旅行なら5万円程度で行ってくることも不可能ではない。皮肉なことに、隣国である北朝鮮へ冷麺を食べにいくよりも、南の果てのマレーシアへ冷麺を食べに行くほうが気軽なのだ。
そりゃ、どうせ食べるなら本場で食べるほうがいいに決まっている。しかし、クアラルンプールの平壌冷麺だって、本場から輸入した蕎麦粉を使い、本場のレシピに倣って、(おそらく)本場から派遣された料理人が調理にあたっているのだ。
それを考えると、「クアラルンプールで平壌冷麺を食べる」というのも、決して悪くない選択肢に違いない。
そんな満足感に浸りながら、美人ウェイトレスさんたちに見送られ、われわれは再びクアラルンプールの雑踏へと分け入って行った。