食道園の記事で、盛岡の冷麺が盛岡冷麺という名前で知られるようになるまでには別の物語があった、と書いた。その物語に思いを馳せるべく、翌日は「ぴょんぴょん舎」の稲荷町本店へ行ってみることにした。
秋田街道 |
ぴょんぴょん舎 稲荷町本店 |
そう、ここはいわゆるロードサイドと呼ばれる空間。その一角にぴょんぴょん舎はひっそりと溶け込んでいる。
よく手入れされた観葉植物が並ぶ一角 |
注文を済ませ、ビールをすすりながら店内を見まわした。『盛岡冷麺物語』の著者は「カジュアルレストランを思わせる店内」と書いていたが、まさにその通りだと思った。立地だけでなく、店づくりも典型的な焼肉店とは一線を画す。店内を飾るのは、透明樹脂に調理器具や穀物を嵌め込んだ遊び心あふれるオブジェたち。おそらくこの店の歴史を見つめてきたのであろう。
透明樹脂のオブジェ |
1987年11月に開業したぴょんぴょん舎は、盛岡で初めて「盛岡冷麺」の名前を使った店として知られている。しかし、オープン当初から「盛岡冷麺」を謳っていたわけではない。いきさつはこうだ。
テラス席もある |
イベント当日、邉が自らに割り当てられたスペースに行ってみると、そこには「盛岡冷麺」という看板が掲げられていた。イベントを観光振興に結びつけたい主催者側が勝手にやったらしかった。
この措置に邉が当惑したことは言うまでもない。邉は在日コリアン2世である。冷麺は異国の地で同胞たちが守り伝えてきた故郷の味だ。それを日本人が勝手に盛岡の名物ということにしようとしている。そんな仕打ちに手を貸したとなれば、1世の同胞たちは自分のことをどう思うだろうか--。そんな心配が邉の脳裡にちらついた。しかし、男の抵抗は主催者側の強い意向に押しのけられ、「盛岡冷麺」の名称は日の目を見たのである。
盛岡市中心部で見かけたぴょんぴょん舎の広告。 「盛岡冷麺」の文字が誇らしげだ |
ぴょんぴょん舎をオープンさせてからも、まだ邉は悩んでいた。冷麺のルーツを自分なりに咀嚼しておかなければ、どんな看板にせよ自信を持って掲げることはできない。開店2年目、ようやくメニューに「盛岡冷麺」の文字を掲げる決心がついた。
しかしそのあとも邉の探究はつづく。韓国各地の冷麺を食べ歩いたし、食道園の青木にも会って昔の話を聞いた。東京に通いつめて名だたる朝鮮料理研究家たちの指導も仰いだ。こうして、物語はあの「邪道」発言につながるのである。
やがて冷麺が来た。スープにはさまざまな旨味が凝縮されているが、盛楼閣の「肉々しい」それとは打って変わってソフトに仕上がっている。「盛岡冷麺は甘い」という私の先入観はまたもや裏切られた。甘みはほとんどなく、むしろ塩気がけっこうしっかりしている。表面に散らされた白ごまがほんのりと香り、食欲をそそる。
麺のコシも心地よい。噛めば噛むほど麦の香りが広がる。キムチは例のごとく「たまな」と大根で、唐辛子がしっかり効いている。具のキュウリも漬物になっていた。
酢の容器は重い金属の蓋で密閉されている。酢にはコバエが寄りつきやすいので、これは良い工夫だと思った。その重い金属の蓋を持ちあげて、円い注ぎ口から滔々と流れるそれを麺に絡めた。はじめはちょっとしょっぱいと感じていたこのスープだが、これによって一気に絶妙なハーモニーが生まれた。酢を加えることを前提とした塩加減なのかもしれない。
そのハーモニーに身を委ね、最後の1滴まで飲み干した。顔を上げると例の透明樹脂のオブジェが見つめていた。